松本店の始まりの頃
故郷の諏訪の地で開店・創業した先代は、より都会を目指したのか、松本に支店を、と考えました。
ところで、今から50年ほど前に、相澤病院は再開発の流れを受けて、現在の場所に移りました。
元のあたりに今は松本信用金庫本町支店があるのですが、
1977年、その向かいのノーサンビル内に、仙岳松本店はオープンしました。
その頃は、まだ道路の舗装などもされてなく、
砂埃の中を新店を見に行った、と私(仙岳 社長)は記憶しています…が、
下記のご指摘もございまして、舗装自体はされていたようです。
ある意味、何も無いところでの開店でしたが、
その2年後の1979年に、井上本店が今の所に全面移転してきたのです。
お陰様で、井上のサービスデーには、多くのお客様にお立寄り頂いたりもあり、
店を知って頂けたのかと思います。
今では、ついで、ではなく直接お店に来て頂くお客様が多くなったかと思います。
残念な事に、この井上本店は、今年で店を閉じてしまいますが、
仙岳松本店は、まだまだ、続けさせて頂きます。
これからも宜しくお願いします。
(私が子供の頃の事ゆえ、おかしな点があるかもしれません。お気づきの方はご教授下さい。)
(という訳で、松本の方から、下記の話を頂きました、ありがとうございます。)
さて、文面中の「その頃は、まだ道路の舗装などもされてなく、」の所ですが
私が1961年生まれでして、16歳の高校のころが1977年になります。
記憶ではそのころ博労町は舗装されていましたので本町は舗装されていたと
考えます。
「砂埃の中」とあるのは、松電バスターミナルが1973年7月に火災となり
1978年に現在のビルになっているようです。
この間、工事の関係でバスの発着所が現在の、たびのホテルlit松本の場所に
なったり、昭和ビルあたりに移動したりしていました。
地面は砂利を広大な範囲に敷き詰めた状況でしたので砂埃は大変な状況でした。
また、そのころ松本市西地区再開発事業(1992年から1999年)が行われていて
舗装のし直しの関係で仙岳様の周辺を工事していたかとも考えます。
記憶を結び付けただけですので、記憶違いも有るかもしれませんが、1979年
当時の事を思い起こしてみました。
ちなみに、井上本店が来る前、空き地状態の時期も有りましたが、ボーリング場
が有りました。小学生位でしたが、叔母に連れて行ってもらった記憶があります。
その前は大きなトラックが沢山停まっていた記憶があります。多分、日通が有っ
たと思います。
(更に、確認頂いて…)
町内の2名(76歳、63歳)に聞いてみましたが、
2人ともターミナル火災を鮮明に覚えていて、工事の間バス乗場が
日によって変わった事を覚えていました。
また、博労町の西側が西地区再開発事業で立て替えたりしたことが
話題になりました。三人の記憶として前回の内容でなから一致しています。